月下逍遥

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あれから

自分のための覚書です、常とはタッチが違いますので飛ばしてくださいませ。



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季節はずれの苺の花。
実りのときを迎えもしないのに、この気候で次々と咲いている。
実るか実らぬのか、にはとんちゃく無く、咲く ことを望んで、それで満足しているよう。

命にかかわる病気になって、今までの自分を思い返したとき、このまま死ねないと思って走りだして、そして世間的には活発に動いていて、活動的といわれ、明るいといわれ、それでも、私にとっての外界は大きな画面のスクリーンに映っている白黒の画像のようで、私自身からは遠いような感覚だ続いて。
そんな中でも死ぬ物狂いというのは火事場の馬鹿力だから、思いもかけないように希望がかなって、それまで考えもしなかった世界が広がり、それはそれで堪能させてもらったと思う。
それで、上出来、とは終わらずに、会うことのないだろうと、すいと分かりあえる(という幻想だったのかもしれないが)、人間に巡り合って、でもそれはその人たちの死に行く時間での邂逅だったから、私は地上に取り残されて、途方に暮れた。

魂がふれた音を聞いた、と感じた人が去ったあとは、こんなに人は嘆くことができるのか、ということを知ることになり、外界はスクリーンの向こうどころではなくなって、まるで自分が冷たい沼の底に沈んでいて、ずいぶんと上のほうに重なる水のそのうえにゆらゆらと揺れて見えるようになってしまった。

生きていると死んでいる、の境に漂っていて、それでも日常をこなす自分が訝しかった。
「関係がうまく作れない」その人の言った言葉が呪詛のようにも、心地よくもこころに残り響く。

無理は続かずに、それまでのことを手放したら、何もなくなった、しん、と何もなくなった。
気力が切れて、ぼんやりと一年近くたってしまった、こんなにぼんやりするとは思わなかったし、動けなくなるとも思わなかった。

何もしなくても生きていけるのだ、そもそも何をなしたかったのか。
おそらく自分への問いの答えはおぼろに出たようにも。
そして問いは生きている限り永遠なのだから。


私は 今 どこに いるのだろう。
この穏やかさは続くのだろうか。
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by fuko346 | 2011-11-30 00:06 | おもいつれづれ | Comments(0)