今 話題になっているジブリの映画ではなく 堀辰雄の小説のお話。
かなり古びた 文庫本を引っ張り出して読みかけています。
ジブリの映画は好きだから 見に行きたいのですが、こちらの小説が私にとって大事なので原作とは違う、といっても冒頭 節子が絵を描いていいるシーンなど宣伝で見ると、もう私のイメージしていた節子 ではないので、見に行くのをためらっています。
昭和46年発行です、はあ わたしは 高校生、あれ中学か、だったのか。
風たちぬ いざいきめやも は ポール・ヴァレリーの詞の一節。そちらは読んだことは無いけれど。
過ぎ越し 「いざ いきめやも」 この句をいったいなんかい つぶやいたことか。
何年か前 好きな言葉を 色紙に書きましょうといわれ 思わず 口をついて出たのが 風立ちぬ。
ほんとうは あとの いきめやも が大事なんだけれども。
この文庫本 だいぶ 古いものは処分しているのですが、あれからずっと私の書棚に並んでいて、このあとも並んでいるでしょう。
寝る前にベットでしばらく読書をするのが習いです。
で、この本を読んで寝て、久方ぶりに 深い悪夢を見ました。
ぱちっと目が開いても 夢から覚めているのに、その夢の情景がありありと暗闇に浮かぶ。
その夢の見ているときの 苦しさがそのまま そこに出現して またそれを反芻してしまう。
そうすると 今の日常では 深いところで押し込めて もしくは 多少は消化したんじゃないか、なんてうぬぼれていた 闇が まだ自分のこころの奥底に きちんといることを 確認してしまうのです。
いやあ まいるなあ。
読むのやめようかな と ふと思ったけれど それじゃ進歩がないので、ここに書いてみて、、、そしたらまた今夜も読めるのじゃないかと。
そう 思うのでした。
宮崎さんは なにをもって 風たちぬ、を選んだのだろう、、、か、、、な、、、とか。
ん、やっぱり見ないとわからないか。