カメラが手元に戻ってきたので 東京つれづれその1
お彼岸のある日 長いこと気にかかっていた 里のお寺へ 墓参りと代が代わったご挨拶に。
マンションに囲まれてしまっていて驚きます。
いえいえ 多摩から直通の電車が出ていることにも、駅前にも その変わりように驚きます。
引っ込んでしまった多摩からだと二時間はかかり、なかなか伺えなったのでした。
和尚さんにご挨拶して いろいろ懸案をお聞きして ざっくばらんなお答に ほっとしました。
お墓のことは 大きな心配事だったので ほんとにほっとしました。
結婚するときから 両親のこと お墓のこと どうすれえばいいのだろう、どうするのだろうと 気にかかったいたのですが、考え続けて、はい、全部 私が引き受けます、と覚悟ができました。
ややこしい血脈は祖父母の頃から続いており たぶん いきなり人格はできないので その前からだろうと思われ、なぜか 祖父は古い家だった(子供頃二回ほど行ったあの大きな家、と大きなお墓のあそこだろうと)自分のところのお位牌を全部 持って出たらしく、両親の家の仏壇には うちの(山里の)13代続いているという家と同じくらいの位牌が たくさん並んでいるのでした。
両親とそれらの位牌の人たちが 私の上に どおおううんと 乗りかかっているようで それは重いものでした。
墓も何も ややこしいことも 苦しい子供も 全部 私の代で 終わらせてやる、それが私の仕事なんだろうと、そして できることしか できないのだと それでいいのだ、と思うのでした。
わたしはわたしを生きることしかできない、と頭ではわかっていても こころの奥でそれを納得するのには なかなか時間がかかり それはどうすることなのか、ということもなかなかわからず、長い旅が続いてきたけれど、今はすうと澄んだ空に顔をあげているような さわやかな気持ちになれました。
毒沢のお湯にも たくさんの事柄 人たちにも助けられて、今 また違う世界に生きていられることに 感謝します。
ここまで来ることができた力を もらっていたのも 両親とあの子供のころからの苦しい時間だったことを思うと、不思議な思いに満たされるのでした。
さ 新しい世界を生きてみよう。